書道家

今日はお休み。

まだ風邪っぴきの症状が残っているのか、午前中に部屋のお掃除を少しだけして、あとは『デンマーク語のしくみ』を読みながら、気が付いたら夕方まで眠ってしまっていた。

デンマーク語の発音が、想像以上に難しそうなのがわかったけれど、このまま普通に日本で生活している分ではまったく必要にせまられないし、触れる機会もあまりないであろう言葉になぜこうも興味をひかれるのか、ちょっと不思議な感覚。

それはさておき、あまりきれい好きではないので、気がつくとすぐ部屋がものだらけで、机の上は読みかけの本やお小遣い帳に書き込まねば・・・と思ってずっとほったらかしになっているレシート、その他ゴミ箱行きの予感のするよくわからないダイレクトメールやら何やらいっぱいたまってる。

いらないものを処分して、久しぶりに小さな本棚の本の並び変えをしてみた。本当はもっとちゃんといっぱい入る本棚を部屋に置きたいと思ってるんだけど、ただえさえお布団を敷くだけで埋まってしまう部屋だから(もちろんベッドを置く場所もない)、仕方がない。弾かないくせに、なくなるとやっぱり欲しくなって買ってしまった電子ピアノも邪魔だ。でも、この電子ピアノを売り払っても、やっぱりまた欲しくなるはずだから仕方がない。使わないけど、ないと不安になる物って意外と多い気がする。新品のノートとか。私の部屋には、まだまだあと何年かは猛勉強してノートをつかいまくってもまだ余る・・・とは言いすぎだけど、それくらい沢山のノートがたまっている。懐かしいものは小学生の時に買ってもらったサンリオのキャラクター付のものまでまだ出番を待っている。でも、これらも絶対に捨てられない。いつかは使うわけで、ストックがないと不安になる。情けない習慣だけど、まぁそれも自分。

さて、本棚の整理をしていたら、ここ数年で買い集めた台湾の旅行ガイドブックがけっこう素敵なラインナップになってきた。『戸外生活』シリーズもほぼ揃ったし、あとは実際に行ってみたい場所へ行ってみるだけ。

ところが、まだ今年の黄金週間の台湾行きのエアを押さえられていない。2月末までにもうちょっと出てくるだろうか?それともチケット争奪戦にすでに敗北してしまったのであろうか?

哀しいけれど、年明けてから残業をあまりしていないせいか(勤務日数が少ないせいもあると思うけれど)、残業代が少なく旅行貯金が全然貯まっていない。残業代なしだと、哀しいくらいお給料は少ないので、残業をしなくちゃいけないワケだけど、残業をするってことは、自分で売上につながる仕事を見つけて、それをこなすわけで、意外とその作業に対する熱意が減ってきているのも事実。それから、夜遅くまで職場で仕事をする体力がないのも事実。

残業をせずに就業時間内の仕事をこなして、定時でピタッと帰るのが理想なんだろうけれど、なかなか難しい。就業時間内に自分の仕事を100%こなそうと思うと、下っ端的な雑務を無視しないといけないし(そうするととなりの上司がひっきりなしに電話を取ったりするわけで、ああ、いかん、いかんとなるわけ。でも、上司が雑務を自ら進んでこなしているにも関わらず・・・それにもライバルの情報をいち早くキャッチするという目的があるんだけど、サポート的な業務の人たちがそれを見て見ぬふりしている環境にもビックリ)、まぁ、日々いろんな葛藤と闘いながら仕事をしています。

今の仕事の嬉しいことは、「売上」さえ上がれば、日常業務をどんな方法で、どうこなそうと誰にも干渉されないこと。チームワークも大事だけど、結局は個人商店なので、自分が社長で、自分が従業員で、自分が経理で、自分が苦情処理係で、自分が店員にもなれるので、結果が良ければ、本当に毎日が楽しくなるし、結果が悪いと、負の連続で辛い日々が続く。

まだはじめて約3年なので、まだまだどんな商店にも変えられるはずなので、辛い日々(?)とまた明日から向き合うことにします。

さて、その本棚整理をしていたら、以前北京の本屋さんで買った書道の本が出てきました。鐘紹京(チョン・シャオジン)という唐の時代の著名な書家が書いたある経典の写真とその書法を記した本なんだけど、ものすごく魅力的な字なんですよねぇ、彼の書。

北京旅行の時も、たしかに故宮はもちろん、各所に点在している歴史的建造物にものすごい感動を覚えるんだけど、個人的にはそこに実在していたものすごい書道家達の書に心を奪われたんです。不思議なもので、書道はいやいややっていたこともあって嫌いだったのに、実物の書を目の前にすると、素人目にもそれがものすごい作品なんだなぁって体中で驚くんです。

そういうわけで、久しぶりにそんな本も買って持っていたんだなぁと目を通しています。中国はまだまだ興味深いものごとがありそう。でも、結局それは「人」が関係してくるんですよね。不思議なもので。